仁木先生あれこれ 2

20年ぶりの東京見物


昭和32年、江戸川乱歩賞を受賞した「猫は知っていた」はその年の11月に映画化が決定しました。
配給は「大映」、監督には「島耕二」、主演には旧名「鶴田和子」から改名する若手女優「仁木多鶴子」で作られますが、
その際、かねてから仁木先生の希望されていた「東京見物」が、大映撮影所の御好意で昭和33年2月22日に行われました。
その様子は「仁木悦子さんの東京見物(『宝石』)」では仁木先生の手記で、
「羽田の空は日本晴れ(『週刊女性』)」では女優の仁木多鶴子の手記で、それぞれ紹介されています。

仁木先生にとっては20年ぶりの東京見物となりました。

仁木先生に同行したのは島監督、女優の仁木さん、ガイド嬢、それに草色の57年型フォードでした。

世田谷を13時に出た一行は、そのまま新宿を通って、東京駅へと向かいます。

そして皇居へ向かい、青山を通って羽田空港に到着します。

羽田空港では、車から降りて車イスで見学をしています。
その際、車イスは女優の仁木さんと島監督に押していただいたようです。

その後、勝鬨橋から銀座を通って、新宿に着いたのが18時近くになっていました。

殺人的な過密スケジュールではありませんが、それでもドライブとしてはかなりのボリューム。
さぞかし自宅に着くとお疲れになったでしょうが、どちらの記事でも
目を細めて笑顔を見せているご様子なので、忘れられないドライブとなったでしょう。