仁木先生あれこれ 3

仁木先生は勉強家?


幼少期は横臥生活のため、次兄に勉強を教えてもらっていたのは、年譜でも記しましたが、
さて仁木先生は勉強がお好きだったのでしょうか。

ある雑誌のインタビュー記事では
「国語は嫌いで、数学や理科の方が好きでした。特に数学は、代数も幾何も両方好きでした。」
とおっしゃっており、また「猫と車イス」では
「三重子はじつは歴史好きで、子供を主人公とした歴史小説を書くのが夢だったようである。」
「四十代後半から三重子は急に日本古代史に凝り始めた。それも記紀万葉以前の歴史で、
縄文、弥生、古墳時代に大いに関心を示した。」
とかかれています。
以前、機会があってわたしは、ある大学ノートを拝見させていただいたことがありますが、
そこにはきれいな字で「縄文時代」のことが、まとめてあったのを覚えています。
また、国立身障センター入所時代にはラジオを一人で組みたてたとか。
その時期に得た知識が、「殺人配線図」という作品に影響を与えています。
このように先生の持ち前の探求心によって得た知識や経験が、
のちの各作品に彩りをくわえていったのでしょう。
勉強が嫌いということはなかったのではないでしょうか。

ということで、当サイトの管理人ことわたしはどうかといいますと…
やってますよ、勉強。
毎週末になると、あるテーマで研究してるんです。

「某哺乳類動物の集団時における心理と行動からみた統計学」

もう何年も研究しているのですが、どうも良い成果や結論が出ないのです。



 ←そして、いつもこうなる。