仁木先生あれこれ4
江戸川乱歩と仁木悦子
仁木先生の推理小説第一作となった「猫は知っていた」は、第3回江戸川乱歩賞を受賞しましたが、
この作品はもともと乱歩賞を狙って書かれた作品ではありません。
「猫は知っていた」は河出書房で長編推理小説全集が企画された際、
最後の一巻に載せられる作品としての募集に応募された作品でした。
そしてそれは佳作5編の中に入り最終審査の結果、
当選作ではありませんが選外佳作として採用されることになりました。
しかし、間もなく河出書房は倒産してしまい、
「猫は知っていた」の原稿が自宅に送り返されてしまうという結果となってしまいました。
すると今度は仁木先生のもとに、江戸川乱歩氏から
「『猫は知っていた』を江戸川乱歩賞候補として出すように」という内容の速達が送られてきました。
そしてその一月後、「猫は知っていた」は乱歩賞を受賞し、
仁木先生は突如女流推理作家として表舞台に立つこととなりました。
その後も仁木先生は、江戸川乱歩氏に助言や激励を受けたり、
相談相手になっていただいたりと、深く関わってきました。
当時は当然メールなど無い時代なので、質問を郵便速達でやり取りしていたらしく、
中には1日に2通も贈られてきたこともあったそうです。
下記の表をみても、節目節目で必ず名前が出てくることから、
まさに江戸川乱歩氏は「仁木悦子」という推理作家を誕生させ、育てた方といえるでしょう。
仁木先生・乱歩先生 関連表 | ||
年月日 | 関連書籍・雑誌 | 関連記事・出来事 |
1957.8.18 | 乱歩氏より速達をもらう。「猫は知っていた」を乱歩賞候補作として応募。 | |
1957.9.11 | 「猫は知っていた」乱歩賞受賞、乱歩氏から正式に通知。 | |
1957.11 | 宝石11月号 『粘土の犬』 |
随筆 女性本格作家現る 随筆 「謎」の作家 |
1957.11.27 | 乱歩氏他2名が立会いのもと、大映と「猫は知っていた」映画化契約。 | |
1958.2 | 宝石2月号 『かあちゃんは犯人じゃない』 |
随筆 ベストセラー作家 |
1958.3 | 宝石3月号 『灰色の手袋』 |
随筆 ”猫は知っていた”英訳のこと |
1958.4 | 宝石4月号 『弾丸は飛びだした』 |
解説 「弾丸は飛びだした」 |
1958.7 | 宝石7月号 『赤い痕』 |
解説 「赤い痕」 |
1959.1 | 宝石1月号 『林の中の家』 |
「カメラ腕自慢」 明るい仁木さん(乱歩先生撮影のグラビア写真) 前書き 「林の中の家」第一回 |
1959.6 | 宝石6月号 『林の中の家』 |
前書き 「林の中の家」最終回 |
1959.9 | 『林の中の家』 講談社 |
帯解説 「林の中の家」 |
1960.3 | 宝石3月号 『みずほ荘殺人事件』 |
前書き 「犯人当て推理小説の条件」(平野謙) 「平野謙氏への御返事とミステリ・マニアへの質問」(仁木悦子) |
1960.4 |
宝石4月号 『おたね』 |
前書き 「おたね」 |
1960.5 |
『多岐川恭 仁木悦子 佐野洋集』 東都書房 |
解説 「多岐川恭 仁木悦子 佐野洋集」 |
1960.6 |
『殺人配線図』 桃源社 |
「殺人設計図」付録 仁木さんのこと |
1961.9 |
『刺のある樹』 宝石社 |
帯解説 「刺のある樹」 |
1961.10 |
宝石10月号 ある作家の周囲17 |
随筆 稀有の人 |
1961.10.18 |
霧の会第2回会合にゲストとして乱歩氏が参加。 | |
1962.6.22 |
仁木先生結婚式にて、乱歩氏がスピーチを行なう。 | |
1967.5 |
探偵随想12号 | 日本探偵小説アンケート 回答者・仁木悦子 |
1969.4 |
『江戸川乱歩全集月報1』 講談社 |
随筆 乱歩先生のこと |
1976.8 |
別冊幻影城 | グラビア 結婚パーティにて |