自然と動物を考える市民会議

1979年の夏、東京都で一つのうわさが流れ出しました。
それは「猫を外に出しておくと捕らえられて殺される」という条例が作られるといううわさです。
そこでそんなことをされては困るとばかりに、愛猫家たちが立ち上がりました。

ペット条例の流れ
1979.10
東京都動物の保護及び管理に関する条例(ペット条例)案 提出

 (理事者側)
危険な動物による危害防止に加え、動物愛護の面もかね合わせた条例案。
                  ×
 (委員側)
猛獣飼育規制の条例だと思ったら、ネコのことも入っていた。      
  0

1979.10.17
都議会衛生労働経済委員会にて条例案 審議
  
<焦点> 条項第8条「ねこの飼主は、ねこを屋内で飼養するよう努めなければならない。」

 (理事者側)
ネコを野放しにしておくと、他人に迷惑をかけてネコ嫌いを増やすことになる。
               車にはねられる可能性があるのでネコにとっては不幸である。
                     ×
 (委員側)
ネコを屋内に閉じ込めようというのは、ネコの習性に反する。
                      動物愛護の精神に反する。            
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1979.10.18 都議会衛生労働経済委員会にて条例案 可決

  <修正> (旧) 条項第8条「ねこの飼主は、ねこを屋内で飼養するよう努めなければならない。」
                         
   (新) 条項第8条「ねこの飼主は、他人に迷惑をかけないよう飼育するよう努めなければならない。」

1979.10.19 ペット条例反対のデモ行進(仁木先生参加)
       
季節はずれの台風の中、日比谷公園〜東京駅八重洲口・国労会館前まで行われる。
1979.10.20 都議会本会議にてペット条例案 承認
1979.11.18 『自然と動物を考える都民会議』結成式 (渋谷・山手教会)
    代  表    仁木悦子
    事務局長    八鍬真佐子  
(現在は『自然と動物を考える市民会議』と名前が変わっています。)
1980.4 ペット条例 施行

この際、ペット条例反対の抗議文を都知事宛に、請願書を都議会宛に提出し、
条例反対署名も20000名を超しました。
その中には、作家・赤川次郎さんも含まれていたようです。(『三毛猫ホームズの怪談』解説より)


また、1983年には東京都が大井埠頭に「東京都動物愛護センター」を設立することとなりました。

(衛生局側)
捨て猫や捨て犬を一定期間収容して、その間に飼主や引き取り手がなければ薬殺処分。    
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「猫も犬もきわめて安らかに死ぬようにしてますから、御心配なく。」
×
(都民会議他、愛護団体側)
生まれてから殺したりするよりも避妊手術のほうがまだましなので、手術の奨励金制度をするべき。
また、正しい動物の飼い方をPRしていくのも衛生局の仕事。

そして真冬の座り込み抗議も行われた結果、センター開所が4月から6月にずれこみました。


また、このようなこともありました。
<なめネコ騒動の流れ>
1981.
 学ランを着た猫(なめネコ)が大ブーム。    
1981.11
TV歌番組で「又吉&なめんなよ『なめんなよ』」がベストテン入り。

猫の倒れる姿の映像に動物愛護団体のいくつかが猫虐待を確信。
「ギブスか薬物注射をしているに違いない」とクレーム。
1982.1.4 なめ猫を動物虐待として糾弾するキャンペーンを開始。

(制作者側)
「座っている状態の猫に『猫が立っている姿の着ぐるみ』を着せている」と反論。
その後
免許書カードを警察官に提示するイタズラが増え、
ついには警察からもクレーム。


ブームは終息へ・・・。




その後1986年5月、健康上の理由で仁木先生は代表を辞されています。



関係リンク
東京都動物の保護及び管理に関する条例(当時のもの) 
自然と動物を考える市民会議
東京都動物愛護相談センター



※上記の何件かにつきましては、「自然と動物を考える市民会議」運営委員長・塩坪三明様よりメールを頂戴いたしました。
  この場を借りまして御礼申し上げます。